2017年は私の人生が変わった年となりました。
ある日、兄のケイレブが彼女と別れ、調子が良くないと母が電話をしてきました。私は「ケイレブはいつもそんな感じでしょ。彼女とも付き合っては別れるを繰り返しているし。」と答えました。
その一週間後、マッサージを待っている最中に母から何度も電話がかかってきていました。電話に出るととても動揺した様子で、私がどこにいるのか、座っているのか、運転中ではないかを聞いてきたので、心臓がドキドキしながら外に出て「ママ、どうしたの?」と聞くと、「ケイレブが・・・もういないの。」と答えたのです。
私は意味がわからず、どうゆうことなのか説明を求めました。「いなくなったって、どういうこと?」泣きながら、母の答えを待ちましたが、本当は何が起きたかなんて分かっていたのです。母は大きく息を吸い、「ケイラ・・・ケイレブは今日の朝、自殺をしたの。」と答えました。
その言葉を聞いて、全身が麻痺したようになり膝から崩れ落ち携帯を手に握ったまま、15分くらいの間涙が止まりませんでした。とてもショックで信じられなかったのです。
鬱になったことのない人や、鬱がどういうものか知らない人は、鬱は「何かがうまくいかなった時に悲しくなる状態」だという間違った認識をしている人がいます。欲しかった仕事が手に入らなかった時、愛している人を亡くした時、離婚や別れを体験した時。これは悲しさであって、人間がもともと持っている特定することのできる感情の1つです。
しかし、鬱というのは「何かがうまくいかなった時の悲しいという気持ち」というだけに留まりません。人生の全てがうまくいっていたとしても悲しいという状態が鬱です。この状態は、兄だけでなく私の知り合いや大好きな人も苦しめられていました。
兄が苦しんでいた鬱の深刻さを全く分かっていなかったと、今でははっきり言えます。事実について知識がなく、認識も甘かったのです。理解ができていなかったとしか言えません。
2017年に兄の葬式が開かれました。彼はまだ22歳。私はとても混乱していて、彼にもう二度と会えないこと、こんなことになってしまった理由・・・なぜ自らの命を絶ってしまったのか。全てが理解できずにいました。
自分の家族や友達を悲しませてまでなぜ去ってしまったのか?
彼の鬱の兆候になぜ気付いてあげられなかったのか?
なぜ理解できないのか?
答えのない質問がたくさんあります。
「人生の全てがうまくいっている時に悲しさに襲われるのが、本当の鬱です。」
悲しみの感情は分かります。何かがうまくいかず落ち込んでいて、シャワーの中で何時間も泣いたり、心が沈んでしまったりしている状態。でもうまくいっている時には、そうはなりません。
この出来事から、鬱についてもっと理解したいと思うようになりました。
ニュージーランドでは、鬱について人に打ち明けることは簡単ではないのです。Facebookやソーシャルメディアではこのような話を見ないし、ニュースで見ることももちろんありません。
楽しい話題、幸せな話題、明るい話題、簡単に話せるような話題ではないからです。身近ではないから、深刻さが分からずにいるのです。
WHOによると、毎年100万人が自らの命を絶っています。毎日3000人、30秒につき1人という計算になります。
拒絶を恐れる人、病気を恐れる人、死を恐れる人、いろんな人がいるでしょう。しかし、鬱や、精神的なストレスを抱える人にとって恐れているのは自分自身です。真実、誠実さ、脆さを恐れます。このような恐れを無理やり抑え込む唯一の方法があります。私の兄はその唯一の方法に手を出してしまいました。
つい最近、占いをしてもらった時に兄と話をしたのです。ケイラは魔女だ!と思われてしまいそうですが、占い師さんは私のことも、私に起こった出来事も知らないはずなのに私の兄について話し始め、私たちしか知らないはずの話を知っていて、兄は自分がしてしまったこと後悔していると伝えてくれました。
「楽しくないパーティーにいて、帰りたいような気持ち。だから僕はパーティーを去ったのだけど、もうそのパーティーには二度と行けないんだ。」彼は自分には可能性があったことを分かっていたけど、自分には価値がない、十分ではない、愛されていない、気にかけてもらえていない、というネガティブな考えがずっと邪魔をしていた、と言っているとも教えてくれました。
「勇気を持って声をあげ、沈黙を破る必要があります。」
私の親友や家族もこの逃げ道について何度も考えたことがあると教えてくれました。これが鬱です。
それが鬱の苦しみであり、放っておけば勝手に治る病気ではありません。
水疱瘡のように治療薬があり、一度かかってしまえば免疫がつくものではないのです。
鬱は、無視することのできない心の声です。
追い出すことのできない、居候人です。
逃げ出すことのできない感情で、一生ついて回ってきます。
しばらくすると、このような考えが普通になり、メンタルヘルスに関する社会的な偏見に一番の恐れを抱くようになります。
恥ずかしい思い、聞こえてくる周りからの声、非難めいた表情、心ない言葉。それが鬱を持つ人々が声をあげることを困難にしているのです。
鬱には社会的な偏見があります。もしそんなことはないと思うのであれば、この質問を考えてみてください。
FacebookのステータスやInstagramのストーリーに、腰痛がひどくてベッドから出るのが大変だった、と投稿するのと、鬱状態にあって自分のことが嫌いだからベッドから出るのが大変だった、と投稿するのではどちらが楽ですか?これが社会的偏見です。
残念なことに、私達はメンタル以外であれば、体中のどこを壊しても寛容な世の中に生きています。脚を骨折すれば、ギプスにメッセージを書いてくれ、大手術があれば病院にお見舞いに来てくれるでしょう。しかし、鬱であると伝えたとたんに人は偏見の持ち、自分の側から去ってしまいます。これが社会にある偏見であり、深刻な精神的ストレスに対する無知なのです。
解決策を朝になるまで調べ、ポッドキャストで話を聴いたり、本を読んだり、人と会ったりしながら考えてきました。でも解決策はまだ分からないのです。
でも、全てはあなたと私、友達、ファナウ(マオリ語で友達の意)、タマリキ(マオリ語で子どもの意)、苦しんでいる大好きな人達、暗闇に隠れてしまっている人達、逃げ道に進んでしまいそうな人達から始まると思っています。鬱の兆候に意識を持ち、オープンな心を持つことが重要であり、私の兄がまだ生きていた時に知っていたかったことです。
勇気を持って声をあげ、沈黙を破る必要があります。私が気付いたことは、周りの人が苦しんでいるなか無知を通し続ける社会を作るより、人々を助け、愛し、受け入れる心をもつ文化を作るべきだということです。
「恐れてもいい、迷子になってもいい、落ち込んでも、混乱してもいい。」
鏡にうつる自分の姿、自分の目で見るものに対して、それでもいいんだ、という受容の気持ちを持つことが大切です。自分に対して正直になってみれば、誰だってそれぞれ苦しんでいるのです。
私たちは痛みが分かります。骨折や病気をしたら、治すことの大切さも分かります。この感覚が、心の病にも必要です。
目に見えない絆創膏を鬱に貼るのをやめ、鬱はとても深い傷、命を奪う可能性のある病であると認識をしましょう。
「鬱でもいいんだ」という言葉を言えるようになれば、ネガティブという個性ではなく、病と考えることができるようになるかもしれません。
恐れてもいい、迷子になってもいい、落ち込んでも、混乱してもいい。私たち人間は永久的に続く辛い出来事や暗い日々、困難の連続に耐えられるようには作られていません。大変な日々は波のように訪れます。どんなことも一生は続きません。私たちは経験すること、そして起こるべくして起こった辛い出来事をどのように克服するかというのを繰り返し行っているのです。
私の兄に起こった出来事は、私が自分の闇と向き合い、正直になり、そのままの自分を受け入れるためのきっかけになりました。皆さんが人生で困難にぶち当たった時、ぜひ同じように自分を、そして起きてしまった出来事を受け入れるということを強く勧めます。
兄は今でも、私にとって願い、忍耐し、そして信頼することを教えてくれる先生です。
私の周りにいる人々にポジティブな影響と人生への目的を与えたい、という望み。
必ず良いことが起きるから忍耐すること。良いことも悪いことも一生は続きません。
良いことのために生きるのではなく、困難を乗り越え、学び、克服し、その瞬間や人々に感謝し生きるということ。
最後に、自分自身、今いる道は正しいと信じること。
これらが、人生の意味を教えてくれました。そして、これらのことに対して感謝の気持ちを持っています。
沈黙を破り会話をすること、絆創膏をはがし全員で問題に取り組んでいくことで、人々の人生に望みと光を生み出し、社会的偏見と逆境を乗り越えることができます。
痛みと死は、感謝と愛を教えてくれる最大のレッスンになります。当たり前に感じてしまう小さなこと、忙しい生活をするために見過ごしてしまうことに対して感謝の気持ちを持ち続けることが受容と幸せを生み出す最善の方法です。自分の気持ちをコントロールできるのは他の誰でもなくあなたです。自分の幸せは自分に責任があります。
愛せば愛すほど傷は深くなりますが、愛さずに失ってしまうより、愛して失う方が後悔しません。
あなたは大切な存在です。
あなたには価値があります。
あなたは尊重されています。
あなたは愛されています。
あなたはそのままで十分です。
No Reira,
Tena koutou katoa
Kayla xx
あなたが去った忘れられない日・・・2017年3月21日
ケイラ・アトキンス-ゴーディンはBODYPUMPインストラクター/プレゼンター、LES MILLS GRITコーチ/プレゼンター、BODYBALANCE、LES MILLS SPRINTインストラクターです。オークランドを拠点にしており、パーソナルトレーナーと歌手もしています。