私はトランスジェンダーです(FTM)。約3年前からカウンセリングを受け、性同一性障害と診断を受け、約2年前からホルモンの治療を開始しました。まだ、手術は何もしていませんがいずれ行うつもりです。
恐らく、私を知るほとんどの方は、私が今更その事実をカミングアウトしなくてもなんとなくわかっていたことだと思います。私も何かのきっかけや質問をされれば今まで隠すこともありませんでした。髪型も服装も男性のようにしていますし、何も言わなくてもおおよそ見当がついている方がほとんどだと思います。
もしかしたら、欧米の方々には「そんなこと、普通のことよ」と思う方もいるかもしれません。日本では、ここ数年で理解は進んでいますが、まだまだ自らそうだと堂々と生きるには勇気のいる状況です。
「自分とは」の気付き
自分の性に対する違和感は、物心ついたときからありました。欲しいオモチャは男の子が遊ぶもの。おままごとやゴムとび、あやとりなど女の子の遊びには全く興味がなく、近所の男の子とその当時流行っていたヒーローごっこやアニメのキャラに扮した遊び、サッカーに夢中でした。幼稚園の頃にピアノを習っていたのですが、その発表会でヒラヒラのドレスにお化粧、かわいいヘアゴムをつけられて、苦痛で仕方ありませんでした。小学校に入っても、私の欲しがるオモチャは男の子のものばかり。たしか小学校3年生のころだったと思いますが、オモチャを買いに行ったデパートで母親から「男の子のオモチャはこれで最後だよ」と言われて泣いたのを今でも覚えています。
小学校を卒業するまでは、自分が男の子みたいにしたい気持ちや女の子のことが気になる気持ちが何という言葉で表現されるのかも知りませんでしたし、特に話すほどでもないと思っていました。生きにくさというのは感じていなくて。そういうと今もその頃と同じですね。
中学校に入って友達になった子が、私と同じような子だったんです。その子は私よりも天真爛漫で、何の躊躇もなく「東井ちゃん、あの子かわいいよね。東井ちゃんはどの子が好き?」と話しかけてきたのです。私はその瞬間、世界が一気に開けた気持ちになりました。中学生は思春期真っ只中。自分の恋愛についてめいっぱい話せる友達の存在は、充実に繋がりました。他には同じソフトボール部の友達や友達数人に話すことができましたし。部活では、私みたいなボーイッシュな子は意外とモテて(笑)楽しい学生生活でした。
家族には、ちょっとしたもめごとがありまして・・・。その時に言わざるを得なくなったんですけど、母親はその時に「昔から知ってたよ」と言っていました(笑)父親は優しい人なんですけど、時々困った顔して遠慮しながら「お前、男の人好きになれへんのか」と言ってましたね。兄は「それがお前なら、いいんちゃう」という感じでした。
傷ついたり、苦労したこと
中学2年生の時に初めて彼女が出来たんですけど、すごくうまくいっていたのに、突然別れを告げられました。理由は、「あなたは男性ではないから、これ以上長く付き合ってもいずれ別れないといけない。長くなるほど辛いから。」でした。とても好きだったので、別れるということにひどく傷つきましたが、その理由については傷つくというより、仕方ないなという想いでした。
また、高校生の時にお付き合いしていた彼女がお婆さんと住んでいたのですが、そのお婆さんは私たちの関係に気付いていて、ある日、彼女の家の仏壇を見ると私の名前の書かれたお祓いの札が置かれてました。お婆さんは私と孫が別れることを神様にお願いしていたんです(笑)
今一番苦労しているのは、トイレや着替えですね。昔からかなりボーイッシュだったので、女子トイレに入ると凄い目で見られますし、今はホルモンを打っているので尚更です。かといって、男子トイレに入るのは法律違反ですから、外出時にはオストメイトのトイレにしか入れません。そういうこともあり、昔から外ではほとんどトイレにはいかなくても辛いと思わない身体になりました。
着替えに関しては、今お伺いしているクラブ様はたまたま全て男女関係ない、鍵のかかる個室があるので助かっていますが、着替える場所が男女別々のクラブだと、誰も来なさそうな小部屋や、オストメイトのトイレを探して着替えています。お風呂が好きなので、銭湯に行けないのは残念です。プールや海にも更衣室に入れないのでそこがどのような環境なのかを先に調べていく必要があります。
私はまだ性別を変えていませんし、名前もかわいい「ゆかり」のままなので、何か手続きなどで電話をするときに必ず「お電話口はゆかり様の旦那様ですか」と聞かれたり、窓口などで、「ゆかり様は?」と聞かれて「本人です」というやり取りも日常茶飯事で慣れています。かえって相手の方に悪いなと申し訳なくなるくらいです。
なぜ今伝える必要があるのか
昨年、BLACK LIVES MATTER運動で、多様性について世界中が深く考え、取り組む機会がありました。私が属するLES MILLSも現在、国籍、性別、その他様々な多様化に積極的に取り組んでいて私はとても素晴らしいことだと感じています。その中でTAPチームを率いるヘッドトレーナーとして「自分が何者なのか」を人任せにしていていいのかと強く思うようになりました。「自分のことをオープンに話してくれない人より、オープンにしてくれる人の話の方が興味深く、共感できるだろう」と。
自分自身がどういう人なのか、周りが察するのと、自ら発信するのとでは、大きな違いがあります。今までは、自分と自分を必要としてくれる人さえ「東井ゆかり」を理解してくれれば自分らしい人生を過ごせると思っていました。それ以上何も求めることはないし、幸せで十分だと思っていたのです。
その考えは同時に、他の人と深く関わることを遠ざけるものになっていました。相手がどんな人かわからないのに、その人の言葉を信じることはできますか?私はまさに、自分自身を他の人にとって信頼できない人にしていたのです。
今まで差別を受けた経験がないからか、私自身今の社会に生きにくさは感じていません。今日本ではLGBTQに関する法律で様々な議論が飛んでいますが、私は理解しない方々を悪だとも思っていません。しかし、それにより差別を受けている方々がいるのは事実で、より良い世界になってほしいです。
フィットネスの力
中学時代の友人との出会いや、恋愛においてもそこまで寂しい思いもせず、理解してくれる人が周りに多かった私はとても恵まれていたと思います。社会人になるときに、スカートを履いて就職活動はできないなと最初から諦めましたが、それについて社会が悪いなどと思うこともありませんでした。
私が一番ラッキーと思えたのは、インストラクターという仕事を始めたことです。たまたま自分が通っていたジムのアルバイト募集を見つけてスタートしました。ユニフォームは男女同じ(のちに男女で色が別れて苦痛を感じることになりますが)、性別による様々な決まりにとらわれず働くことができるのはとても幸せでした。当初から私は今と同じ風貌で、自分が何者であるかは伝えていませんでした。上司や会社の上層部の方からすれば、不可思議な存在だったと思いますが、スポーツクラブという場所は私を受け入れ、出世までさせてくれました。今の私があるのも苦痛を感じずに過ごせてこられたお陰だと思っています。
そして、レズミルズとの出会いです。
レズミルズのクラスを教えるということは、私に無限のパワーを与えてくれました。クラスは私が何にもとらわれず「ただそこに存在する」ことができる大好きな場所です。クラスではメンバーが私の言うことで笑顔になり、歯を食いしばり、自分を解放して楽しんでくれます。クラスの前後では、私のところに来て嬉しそうに話しかけてくれます。レズミルズは私が私らしくいられるというどころか、私が輝ける場所まで与えてくれました。
また、レズミルズをやっていたからこそ得られた経験もあります。ありがたいことにトレーナーという立場から、インターナショナルプレゼンターと関わる機会を何度かいただくことが出来ましたが、彼らの誰に対してもオープンでウエルカムな姿勢、愛の溢れる人格を感じるたびに、誰もが受け入れられ、そして誰をも受け入れるレズミルズの文化に感銘を受けました。
フィットネスとレズミルズには本当に感謝しています。
最後になりましたが、きっとインストラクターという職業には同じような方がたくさんいらっしゃると思います。私のお話が、その方々にとって少しでも勇気と言ってはおこがましいですが、一瞬でも良い気分になっていただくことにお役に立てたなら嬉しいです。